(記事) ① 盂蘭盆も過ぎ、徐々に朝晩は涼しくなることを期待しています。 秋に入ると、佐賀県内では鹿島市、武雄市、佐賀市、唐津市などをはじめ各地で五穀豊穣、家内安全等を祈念する浮立(ふりゅう)の奉納が始まります。 カメラマンも撮影で忙しく(?)なります。
② この写真は、武雄市貴船神社に奉納される袴野面浮立です。 浮立の様式は、お面を付けるもの、付けないものなど多種多様ありますが、袴野面浮立は、(一社)武雄市観光協会のホームページによりますと、「親面という赤と青の面を付けた先導役が立ち、その後を鬼の面を付け三列縦隊で並んだ踊り手が上下の躍動を中心に踊りが披露される。」と案内されています。
③ 私は、浮立の撮影に当たっては、作品化を狙っており、仕上がりのことを考えて、多数の踊り手の方が整然と隊列を組んだ様、加えて、躍動感、迫力溢れるタイミングを狙っています。 しかしながら、地元の方を中心とした大勢の参拝の方がおられ、また、何よりも、神社に踊りを奉納されるため、踊り手の方は神社の拝殿に正面(顔)を向けて踊られますが、撮影者が神様に背面(お尻)を向けることさ避けなければならないので、撮影の位置取りに工夫が必要となってきます。
(記事) ① (一社)佐賀県観光連盟のホームページによりますと、徐福は、有明海を経由し上陸後、1枚目の写真に在る箇所(現在の新北(にきた)神社の境内。1枚目の写真の同神社の拝殿に向かって右側。)にその証として「ビャクシン」の種を植えたと紹介されています。 「ビャクシン」は、元来、暖かい地方の樹木で、国内に自生する例はほとんどなく、1枚目の写真の古木は樹齢推定2,200年とされ、徐福の渡来時期と符号しているそうです。 この「ビャクシン」は、龍が天に登るような姿に見えることから「飛龍木」と名付けられているとのことです。
② また、新北神社の宮司さんのご説明では、1枚目の写真にあります同神社の拝殿に向かって右側には徐福像が建てられており、これは中国の徐福ゆかりの関係方面から寄付されたとのことでした。
③ 2枚目の写真は、毎年10月に、新北神社に五穀豊穣を祈って奉納される「三重の獅子舞」の像です。 (一社)佐賀市観光協会のホームページによりますと、三重の獅子舞は、約600年前に越後から伝わったといわれる民俗芸能であり、赤と緑の獅子が囃子に合わせて勇壮に舞いますが、獅子の中には、2人もしくは3人が肩車をして入っておられます。 なお、いずれの日か、この奉納される日の実物の獅子舞の写真を掲載したいと思います。
<撮影場所付近の佐賀の物産品等> ① 徐福が目指してきた有明海は、今では、なんといっても海苔の生産が著名です。2019年においても、販売枚数、額ともに16季連続日本一となっています。
② なお、余談になりますが、有明海に生息する、ⅰ)ムツゴロウ、ⅱ)ハゼグチ、ⅲ)ワラスボ、ⅳ)エツの4種の魚類は、中国の沿岸では常時見られるが、日本では有明海のみに産し、その他の海域では見られないといわれています。 このことから、いきおい、この4種のうち、吸盤のあるムツゴロウ、ハゼグチ及びワラスボの3種は、徐福等の渡来集団の船に付着して有明海に渡ってきたかもしれないという説もあるぐらいです(1989年に出版された「弥生の使者 徐福」から引用。)。
(記事) ① 山の日(8月11日)に佐賀市の金立山(きんりゅうざん。標高501.8m)に、金立山水曜登山会に同行し、孫と一緒に登りました。 私より小学校3年生の孫の体力が勝ってきていることを実感した登山でした。
② 金立山には、三神が祀られており、主神はこれまでもご紹介しました徐福です。 NPO法人佐賀県徐福会のホームページによりますと、金立神社は約2,200年前に起源を有しており、徐福渡来の時代と合致しているそうです。 金立神社では毎年の祭礼に加え、50年に一度、大祭が行われ、直近では1980年に行われています。大祭では、御神輿が金立神社上宮から下宮、徐福が上陸した地と伝えられる箇所を経由し有明海に浮かぶ沖の島までを3日間かけて往復します。
③ 1枚目の写真の上宮の神殿と拝殿は、明治30年代に建造された石造であり、標高約500メートルの高さにあって他に類のない建造物とされています。
① 検討結果(結論)を先に記述しますと、ブログにアップする写真が、「佐賀県内の自然、史跡、文化、芸能等を対象に撮影した記事的写真」と「作品化を目指した写真」とが閲覧していただける皆様に区別がつかなくなっている。」と判断し、整理見直しすることにしました。
② このブログを開設した当初に定めた、「ブログ「佐賀風土記」運営要領」において、ブログ開設の趣旨等として、上記①のとおり、記事的写真と作品化を目指した写真とを掲げることとしていました。 しかしながら、実際にブログにアップする際に、この二つのどちらを意図している写真なのか分かり辛く、中途半端になっていたと思います。
③ したがいまして、夏休み明けの明日(2019年8月18日)からブログを再開しますが、再開後はどちらを意図している写真なのか分かり易いようにします。 このことによって、例えば、記事的写真については、撮影データは不要なので省く、また、地元の方のお話を伺うなど取材を強化した上で、記事内容をよりビジュアル化するため写真の枚(カット)数を複数化していきたいと思います。 他方、作品化を目指した写真については、私の実力不足からして、掲げる頻度は、月に多くても2~3回(カット)程度になってくると思います。
(参考) ① 小城市のホームページによりますと、清水の滝は、 全国名水百選の一つ清水川の上流にある滝で、高さ75メートル、幅13メートルの清流が垂直に流れ落ち、別名「珠簾(たますだれ)の滝」とも呼ばれていると案内されています。 この日は、最近の雨で水量が多くなっており、細かい水しぶきをあげながら滝が流れ落ちていました。 ② 駐車場からは少し歩きますが、滝に届いたら心地よい涼風が待っていました。
<この写真 私の心・技・体> ① ND64フィルターを使用して、長秒露光(SS 1/15)し、滝の流れをふんわりとした綿のように表しました。 ② しかしながら、三脚を使用しない手持ち撮影でしたので、ブレを防ごうと肩に力が入りしんどかったです。
(参考) ① JR九州「ゾンビランドサガ」とは、佐賀を舞台としたTVアニメ「ゾンビランドサガ」と唐津市とが企画したラッピング列車です。 企画の目的は、列車をラッピングして、佐賀県を舞台にした全国的に話題となったアニメを活用し、観光客を呼び込むためものです。 ② ラッピング列車には、アイドルグループ「フランシュシュ」のメンバー7人と、アイドルプロデューサーの巽(たつみ)幸太郎、小型犬のロメロを新たに描き下ろしたイラストが車両全体にデザインされています。 ③ この写真は、JR唐津線(西唐津~佐賀)小城駅で佐賀行の「ゾンビランドサガ」号を撮影しました。 なお、「ゾンビランドサガ」号の運行時刻はJR九州のホームページで確認できます。
<この写真 私の心・技・体> ① 佐賀県内のJRの列車は、これまでも色々なラッピング列車が走行しています。 ② そのラッピング列車を撮影できることは、童心に帰り楽しい時間です。
<撮影場所・撮影日時> 浜崎祇園祭(唐津市浜玉町)・2014年7月27日20時頃 <撮影データ> Nikon D800E・AF-S NIKKOR 70-200mm f/2.8G ED VRⅡ 絞り優先AE・f11 ・SS 1/6・ISO800・HUSKY三段 KIRK Model
(参考) ① 唐津市浜玉町の浜崎祇園祭は、「浜崎祇園山笠振興会」のホームページによりますと、江戸時代、博多櫛田宮の祇園山笠を模して、浜区、東区、西区の3台の山笠を造ったとされています。 ② この山笠の特徴は、高さ15メートル、重さ5トンあり、九州内でも最大級といわれ、この高さを維持するため、電柱を高くするなどこれまで様々な工夫が施されてきたそうです。 ③ なお、山笠の保管は、「浜崎祇園山囃子保存会館」(保管庫)に置かれています。同館には、山笠の資料、パネルなどが常時展示されているので、通年、訪ねて見学できます。
<この写真 私の心・技・体> ① 山笠が練り歩く際の囃しで、三味線があることに目新しさを感じました。また、祭のクライマックスは、「大まぎり」と呼ばれる巨大な山笠が車輪をきしませながら何十回も旋回する動作です。 ② この写真では、「大まぎり」ではなく、3台の山笠がワンカットで見れるものをアップしました。
(参考) ① 鹿島市能古見(のごみ)地区山浦では、毎年8月、夏祭りの中で「面浮立(めんぶりゅう)」が神社に奉納されます。 ② 面浮立は、佐賀県を代表する民俗芸能として全国的にも有名です。 面浮立の起源は、色々な説がありますので、一概に取り上げることはできません。 従いまして、ここではその一つの例として、(一社)佐賀県観光連盟のホームページに掲載されているものを全文引用します。 (引用) 面浮立の起源は、豊後の大友勢が肥前を攻めた時、龍造寺方の鍋島直茂が一族郎党に鬼の面をかけ、赤熊(しゃぐま)をつけ、陣鉦、陣太鼓、笛を鳴らして敵に夜襲をかけ、勝利したという故事にもとづくそうです。 ③ 上記の引用の中での故事とは、このブログで2019年7月17日に掲載しました「佐賀版 桶狭間の戦い」をご覧ください。
<この写真 私の心・技・体> ① 面浮立は、華やかな衣装をまとって踊りますが、この写真ではモノクロにしました。 その理由は、頭に付ける赤熊(しゃぐま)が白銀色なので、これをポイントにしたかったものです。 ② さらに、赤熊(しゃぐま)が踊りの動きで揺れる様子を表現するため、ND64フィルターを使い、シャッター速度をSS 1/60まで落とし、モノクロにすることによって、より躍動感を出しました。 なお、この山浦千灯篭の面浮立につきましては、2019年4月7日にカラー写真をブログで掲載しています。 ③ 所属写真クラブの写真展(2019年開催)への出品作
<撮影地付近の佐賀の物産品等> ① 鹿島市の「能古見」の名称を持つ特産物は、私が知り得る限りでは、魔除け・開運の人形として知られる「能古見人形」と日本酒「能古見」です。 ② 「能古見人形」は、干支を表した人形があり、(一社)佐賀県観光連盟は、これまで3回(直近では、平成26年の午。)、年賀切手の図柄として採用されたと紹介しています。 また、日本酒「能古見」は、今や全国ブランドになっており、日本酒ファンの垂涎ものではないでしょうか。
(参考) ① 佐賀七賢人の一人、江藤新平は、幕末に、佐嘉藩を脱藩し、京都で勤皇活動を行いました。その脱藩の罪で死罪のところ、藩主の計らいで永蟄居処分を受けています。 その永蟄居処分の約5年間のうちの約2年間、この写真の金福寺で生活していましたが、案内板によりますと、お寺の付近の子ども達に習字や漢文などを教えていたとのことです。 ② 江藤新平は、約5年後に処分が解かれ、早速、翌1868年には上京し、明治政府の要職に就いています。 ③ この経緯からみると、そもそも脱藩し京都に向かったのは、内密の藩命ではなかったかとの推測がいわれていますが、もちろん定かではありません。
<撮影地付近の佐賀の物産品等> ① この金福寺のすぐお隣にとてもおいしい老舗のお饅頭屋さんがあります。(一社)佐賀市観光協会のホームページによりますと、昭和5年開業と紹介されています。 ② また、おおよそ4~500メートルのところにとても安くて新鮮な魚を売られているお店があり、予約しておけばお寿司も握られて販売(注)されます。隠れた穴場です。店主さん、ご家族がとても気さくで好感が持てます。 (注)鮮魚屋さんの店構えであり、お寿司をそこで食することができるようなところではありません。 山中ですが、鮮魚は、車で3~40分の距離に在る唐津の魚市場まで仕入れに行かれていると思われます。