(参考) ① 佐賀にもあの織田信長が戦った桶狭間の戦い(1560年6月)から10年後の1570年8月に、佐賀の桶狭間の戦いという戦史があります。具体的には、「今山の戦い」という名称で歴史に残っています。 写真に見える赤坂山展望台に立てられている案内板によりますと、豊後の大伴宗麟が肥前佐賀の龍造寺隆信を10万騎に及ぶ戦力で攻めた際、隆信配下の鍋島信昌(のちの佐賀藩祖鍋島直茂)が700騎余で夜襲を決行し、これを打ち破ったとのことです。 ② 大友軍も桶狭間での今川軍同様、前夜の大酒宴で酔眼もうろうとして、足元が定まらなかったということですが、兵の志気を維持するためには管理職はお酒を振る舞うのもやむを得ないでしょうね。 写真の左手に、戦死者の供養塔が建てられているのが見え、また、この場所よりもう少し登ったところの本陣跡付近と思われるところに在る大友公園そばには、大友軍の今山での総大将であった大友親貞のお墓が祀られています。 ③ なお、この赤坂山展望台からは、佐賀市街を俯瞰することができます。
(参考) ① この写真は、佐嘉藩主鍋島家の発祥の地「御館の森」という箇所です。 ② 案内板によりますと、鍋島家の祖は、山城の国長岡から肥前(佐賀)に下向し、鍋島(現在の佐賀市鍋島)の地に居を構え、鍋島氏を名乗るようになったそうです。 ③ その後、鍋島家は、今山の戦いでの武勲等の功績を経て、佐嘉藩主になっていきます。
<撮影地付近の佐賀の物産品等> ① 1枚目の写真、案内板及び供養塔の直ぐ後方に蜜柑の木が写っていますが、この今山付近は、蜜柑の栽培が盛んです。 ② 撮影した際、蜜柑栽培農家の方が防除などの管理作業をされていました。 その農家の方に、私が、「今山」という山はどの山になりますかと質問したところ、「今山」という山はなく、地名であると教えていただきました。