(参考) ① 昨日(2019年7月18日)、島義勇を挙げましたが、島義勇は、江藤新平がリーダーとなった佐賀戦争(1874年。佐賀の乱、佐賀の役とも呼ばれる。)に加わっています。この関連で、今日は江藤新平をご紹介します。 ② 近代司法の父と呼ばれている江藤新平は、三権分立、四民平等を唱え、また、民法の制定に尽力しており、明治政府初代の司法卿に就いています。 江藤新平は、佐嘉藩出身者で唯一「維新の十傑」に挙げられるなど、その功績は非常に高く評価されています。 ③ しかしながら、征韓論を巡る権力闘争(政争)に敗れ、その後、佐賀に帰郷し、本意とは相違したことに流されるまま、佐賀戦争のリーダーとなり、その責任を負って刑に処せられてしまいました。 なお、その15年後には賊名を解かれ、特に、最近では、様々な歴史研究の結果、佐賀戦争の経緯や江藤新平の功績を見直す動きが盛んになっています。
<撮影地付近の佐賀の物産品等> ① 江藤新平に係る書籍としては、司馬遼太郎の「歳月」という歴史小説が著名です。これは、文庫本でも分厚いものですが、一気に読破してしまいました。 ② ウィキペディア(Wikipedia)によりますと、この小説の原題は「英雄たちの神話」だったそうですが(小説「現代」での連載。)、単行本が出版された際、どういう経緯、理由などで「歳月」というタイトルになったか、私には分かりません。ご存じの方は教えてください。 ③ 江藤新平の大ファンの私は、ⅰ)江藤新平は、世に出る前、佐嘉藩の掟を破り上洛のために脱藩しており、本来なら切腹のところ、藩主の計らいで佐嘉城下から遠く離れたところの山中の寺院等での蟄居処分を受けていますが、その蟄居期間が56年という歳月、ⅱ)上記に記述しましたとおり、江藤新平は解かれたとはいえ、一旦は賊名を着せられ、長年の歳月、乱の首領としてのイメージがあったことなどと推測していますが、いかがでしょうか。