(参考) ① 佐賀七賢人の一人、江藤新平は、幕末に、佐嘉藩を脱藩し、京都で勤皇活動を行いました。その脱藩の罪で死罪のところ、藩主の計らいで永蟄居処分を受けています。 その永蟄居処分の約5年間のうちの約2年間、この写真の金福寺で生活していましたが、案内板によりますと、お寺の付近の子ども達に習字や漢文などを教えていたとのことです。 ② 江藤新平は、約5年後に処分が解かれ、早速、翌1868年には上京し、明治政府の要職に就いています。 ③ この経緯からみると、そもそも脱藩し京都に向かったのは、内密の藩命ではなかったかとの推測がいわれていますが、もちろん定かではありません。
<撮影地付近の佐賀の物産品等> ① この金福寺のすぐお隣にとてもおいしい老舗のお饅頭屋さんがあります。(一社)佐賀市観光協会のホームページによりますと、昭和5年開業と紹介されています。 ② また、おおよそ4~500メートルのところにとても安くて新鮮な魚を売られているお店があり、予約しておけばお寿司も握られて販売(注)されます。隠れた穴場です。店主さん、ご家族がとても気さくで好感が持てます。 (注)鮮魚屋さんの店構えであり、お寿司をそこで食することができるようなところではありません。 山中ですが、鮮魚は、車で3~40分の距離に在る唐津の魚市場まで仕入れに行かれていると思われます。