(記事) ① 神代勝利は、1511年、佐賀市の千布(ちふ)城で生まれた戦国時代の勇将です。福岡県久留米の高良大社宮司の流れをもち、現在の佐賀市三瀬村を含む山内(神埼市・佐賀市・小城市の北部の山地一帯)の惣領になりました。
② 神代勝利は、案内板によりますと、「五州二島(肥前、肥後、筑前、筑後、豊前、壱岐、対馬)の太守」を自称した竜造寺隆信と幾度も戦を交え、55歳で現在の佐賀市富士町に在った畑瀬城で病没し、畑瀬地区の宗源院に祀られました。 しかしながら、昨日、掲載したあやめ橋と同様にこのお墓も嘉瀬川ダムの建設のため水没することとなり、1枚目の写真のとおり、ダム堰堤の左岸、畑瀬トンネル近くのダムの水面を眺められる高台に移設されています。 2枚目の写真の奥の竹林が、神代勝利が生まれた千布城跡になります。
③ なお、「神代」姓は、各地でたくさんの読み方があるようですが、佐賀では「くましろ」、「こうじろ」が一般的のようであり、「神代勝利」は「くましろ」と呼びます。 余談で恐縮ですが、萩原健一主演、桃井かおり出演、映画「青春の蹉跌」などを撮った映画監督の「神代辰巳」は佐賀県出身であり、同じく、「くましろ」と読みます。