カノン砲の性能試験場(大久保お台場跡)<撮影場所・撮影日>佐賀市・2017年11月27日
カノン砲の性能試験場(岩田お台場跡)<撮影場所・撮影日>神埼市・2018年2月24月
◎新型コロナウイルス対策に係る全国を対象とする緊急事態宣言に従いまして、行動自己規制を行い、写真撮影活動は休止しています。
このため、ブログ「佐賀風土記」では、過去に掲示した写真に記事を改訂した上で再掲しています。今回は、2019年5月4日及び5日付けの再掲になります。(記事)
今回は、一昨日(2020年5月7日)のカノン砲のシリーズになります。
① 江戸幕府は、ペリー来航への対応のため慌てて、全国に先駆けて既に西洋式大砲であるカノン砲の製造に着手していた佐嘉藩に対し、同砲を発注しました。
② 1枚目の写真は、江戸幕府から受注したカノン砲の性能試験を行う場所であった佐賀市大和町に在る大久保お台場跡になります。
素晴らしい景色ではありますが、看板、電柱、ゴミ箱などがあったりして写真としてはゴチャゴチャしています。鷺が飛んできてくれて、ようやく諦めがつきました。
③ 2枚目の写真は、神埼市に在る岩田お台場跡になります。
しかしながら、1枚目の写真と2枚目の写真とは、時系列的には逆になります。
そもそも、佐嘉藩は江戸幕府からのカノン砲の発注を受ける以前からこの岩田お台場で藩独自にカノン砲の製造試験を実施していました。
ところが、江戸幕府からのカノン砲の受注を受け、この製造を急ぐために、お城より近距離に在る1枚目の写真の場所である大久保お台場へ移転して、性能試験を大車輪で実施したとされています。
2枚目の写真の岩田お台場跡は、今は、写真中央のとおり、雑木林になってしまっています。場所が農村であることから、トラクターが通りかかってくれないかずいぶん待ちましたが、白色の自動車が通りかかってくれたことで良しとしました。加えて、自己満足として、野菜(たかな)を強調することで、面白味を出したつもりです。
なお、写真の右手に見える「日の隈山」(山頂にテレビ放送用のアンテナが見えます。)を標的にして砲術訓練が行われていたとのことです。
【広告・スポンサーリンク】
★撮影場所等の情報について、具体的にお知りになりたい方は、メールフォームからお問い合わせいただくか、又は、お手数をおかけしますが、次の事項で検索してください。
「『大久保台場を学ぶ』研修会 ご案内-つながるさがし」、「維新の胎動~それは大久保台場から始まった~」、「神埼まちあるき(5) 蒙古屋敷と大蛇伝説の里を訪ねる」等
- 2020/05/09(土) 00:00:00|
- 佐賀市
-
-