湛然和尚のお墓への入口<撮影場所・撮影日>佐賀市大和町・2020年9月22日

湛然の里の彼岸花<撮影場所・撮影日>佐賀市大和町・2020年9月16日
腹切地蔵<撮影場所・撮影日>佐賀市大和町・2020年9月16日
(記事)
① 1、2及び3枚目の写真は、いずれも撮影場所は、過日(2020年9月15日付け)掲載しました佐賀市大和町に在ります「湛然の里」になります。
1枚目の写真が、この地の由来となっている湛然和尚のお墓の入口に建てられています石標になります。 墓所への小道は、写真には写っていませんが、写真の右手側にあります。
湛然和尚のことを簡単にご紹介(「佐賀市地域文化財データベースサイト さがの歴史・文化お宝帳」を参考。)しますと、
ⅰ)和尚は佐嘉藩主鍋島家の菩提寺である高伝寺の第11世の住職であったところ、事件を犯したある和尚の助命を藩主に嘆願したが聞入れられなかった。
ⅱ)このため、和尚は高伝寺を出て、肥前(佐賀)から筑前(福岡)に出国しようとしてこの地にたどり着いた。
ⅲ)和尚は藩主の再三の出国慰留の命を受け、ようやくこの地にとどまることとし、以後禁足し、「華蔵庵」を作って住むに至った。
和尚は、華蔵庵を訪れる人があれば大慈悲の道を諭し、特に、「葉隠」を残した山本常朝はこの湛然和尚の影響を大いに受けている。
② この地湛然の里では、地元の方々が華蔵庵跡を護られているとともに、彼岸花の生育など自然保護に尽力されています。
2及び3枚目の写真は、今年(2020年)、湛然の里の彼岸花を撮影したものです。小雨の早朝でしたので、彼岸花には水滴がついており、狙いとしました朝日に輝く光景はお預けになってしまいました。
なお、この付近は農道のみとなっており、撮影のための駐車場はありませんし、また、農作業の邪魔にならないよう撮影することが肝要になります。
③ 4枚目の写真は、湛然の里の近くに在ります「腹切地蔵」という穏やかならない名称の祠になります。これは、上記①のとおり、湛然和尚が出国しようとしているところを追いかけてきた藩の使者が藩主の出国慰留の命を切腹してまで伝えたことなどを供養して建てられたものとされています。★撮影場所等の情報について、具体的にお知りになりたい方は、メールフォームからお問い合わせいただくか、又は、お手数をおかけしますが、次の事項で検索してください。
「高伝寺の第11世の住職 湛然和尚」、「佐賀 華蔵庵」、「葉隠」、「山本定朝」、「佐賀市大和町 腹切地蔵」等
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- 2020/09/27(日) 00:00:00|
- 佐賀市
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