(参考) ① 名護屋城跡について、佐賀県立名護屋城博物館のホームページを、次のとおり、そのまま引用させていただくことをお断りします。 ・名護屋城は豊臣秀吉の朝鮮出兵(文禄・慶長の役)に際して出兵拠点として築かれた城です。 ・1592(文禄元)年の開戦から秀吉の死で諸大名が 撤退するまで、7年の間大陸侵攻の拠点となりました。 ・城の面積は約17ヘクタールにおよび、当時では大坂城に次ぐ規模を誇りました。 ・周囲には130以上に上る諸大名の陣屋が構築され、全国から20万人を超える人々が集ったとされています。 ・現在、名護屋城跡と23箇所の陣跡が国の特別史跡に指定されています。 ② 2枚目の写真の歌碑は、唐津市のホームページによりますと、「太閤が睨(にら)みし海の霞かな」青木月斗(子規門下俳人)と説明があります。
<この写真 私の心・技・体> ① 視界が良い日は、対馬が望めると聞いていましたが、この日はクリアな快晴であったものの、私の肉眼もニコンの銘玉も捉えることができませんでした。 ② 名護屋城跡は、黒沢明監督の「乱」(1985年制作)の撮影現場になっており、写真愛好家の私としましては、この場に立つと、なぜか緊張しました。 その理由は、私見ですが、黒沢映画のカメラワークを知らずして、写真愛好家と言うなかれというほどに、黒沢映画は、特に、モノクロ写真においては貴重な教科書である所以(ゆえん)です。また、パンフォーカスの極みの観点から言えば、黒沢映画と写真の大家「土門拳」とは相通じるものがあると思います。