(参考) ① 大正2年(1913年)、佐賀市神野から現佐賀市大和町川上まで軽便鉄道が敷かれました。この写真は、その終点停留場跡地に設置された記念碑です。 ② 昭和4年(1929年)には電化され、路面電車が走るようになったものの、路線バスが運用化され、昭和12年に廃止されました。 ③ 当時、九州の嵐山と呼ばれた川上峡への観光客や近隣の著名な神社仏閣への参拝客などが利用していたとのことです。
<この写真 私の心・技・体> ① 戦前、佐賀市内に路面電車が走っていたことは、子供のころ聞かされていました。 ② 2枚目の写真で見れるように、当時の写真が陶板にされて記念碑に貼られています。これぞ写真の役目の基本である「記録」です。この当時この写真を撮影された方は、どのようなお気持ちで撮影されたでしょうか。まさに100年写真です。 この記念碑の近くに住んでおられる方とお話ししましたところ、ご自宅に関係の古い写真を保管しているとのことでした。機会があれば、拝見させていただきたいと思っています。 ③ 申し訳ありませんが、石碑の刻字が読みづらいかもしれません。石碑が雨で濡れている状態で撮影した方がベターだったかもしれません。 なお、1枚目の写真の右奥に、川上峡のシンボルである赤い色の官人橋とその左に僅かに肥前国一之宮の一つである與止日女(よどひめ)神社の屋根が見えます。